クリダマ

「クリダマ」とは「クリームチーズのダマ」の略。ブログ開設時たまたまレアチーズケーキを作っており、何も考えずに冷蔵されていたクリームチーズを使ったらダマになってしまった。レアチーズケーキを作ろうと思わなければ、おそらくダマになることなんて知らなかったろうに。そういう感じのブログ。

「おれはもうだめだ」-コミュニケーションの仕方

病院にて

 

「おれはもうだめだ」

 

これになんて答える?

 

私は

 

「そうなんですか、辛いですね」

 

と答えただろう。

 

しかし、先輩は

 

「~さん、何を言ってるんですか 笑」

 

こう答えたそうだ。

 

どっちがいいとかそういうことはたぶん人によって違う。

 

受けとめるのがいいのか、流すのがいいのか。

この場合は跳ね飛ばした方がよいような気がする。

 

しかし、言えることは両方できたほうがいいじゃんということ。

状況によって使い分けられたら尚いいと思う。

 

そして、一番いけないのは声をかけないことだ。

コミュニケーションにおける失敗は齟齬でなくコミュニケーションの不在だと思う。

齟齬はまたやり直せる。

不在は何もわからない。

 

声かけ大事

失敗を受け入れるときのダメージ

自分の行動について批判されてアドバイスを受けるときテンションが下がる。

 

いや、いつもじゃない。

たまに下がる。

元気がないと下がる。

下がったまま家に着くとよからぬことを考え始める。

憎き感傷である。

 

反省→感傷は良くないコンボだ。

反省したら一端忘れていい。

 

「よくがんばった」

 

それでいい。

 

完ぺき主義は減点法だから傷がつくとパーになる。

そんなのバカだろ。

 

なぜ他で上手くいったことを褒めない?

 

パーッとやろうぜ、パーッと。

自意識過剰で気持ち悪い

何で相手の気持ちを考えられないのだろうか?

 

いつも

 

「自分、自分」

 

やめたい考え方。

タイミング

本日はボランティア。

不登校の子と関わる。

 

やることなくなって

「つまらない」

それに対して

 

「なにしたい?」

 

これはあまりに短絡過ぎた。

 

したいことがなくて

でも終了時間まで過ごさなくてはいけない。

その上での「つまらない」という気持ち

 

今まで「~しようか」が通用しなかった。

だから今日も通用しないと高をくくっていた。

しかし、今日は誘いにのってきた。

なんで乗ってきたのか?

 

それはタイミングの問題。

僕にはタイミングがわからない。

相手の心をつかむタイミングが。

 

自分はタイミングをあまり意識しない性格なのかもしれない。

例えば、誰かが「××」と言ったという事実がずっと続いてしまう。

その状況を何度も思い出してその人間との関係性が更新されない。

むしろ歪んでしまっている。

 

言われたことの一部を鮮明に思い出して何十回、何百回言われた気になったり、

昔に言われたことに固執して今の関係性をおろそかにしたり。

 

もう後悔したくないから今を生きよう。

 

もっと未来に投げかけるように。

 

家入氏のツイートを受けて

 

 

これを受けて昨日久しぶりに半袖を着て稽古にいってきた。

私は半袖を着て外に出たくない。

理由は肘の内側が掻き毟りすぎて色が変わってしまっているからだ。

私は幼少からアトピーを患っているのでこの色は積年の賜物である。

一時期のことを考えればかなり落ち着いているけれど人に見せたくない。

患部を見せると不快な思いをさせてしまいそうだからだ。

でも自分が思うほど人は見ていないのである。

 

それどころか、先生に「夏らしくていいわね、いつもよりすっきりしてていいわよ」と逆に褒められた。

いつも長袖だったので季節感がないからイメージが大きく変わったのだろう。

アトピーへのコンプレックスで思い出したのはバイトの面接についてだ。

 

大学2年の今頃私はバイトを始めようと面接を受けていた。

しかし、ことごとく落ちた。

1ヶ月くらいへこみっぱなしだったが一つだけいい話を聞けた。

 

面接先は居酒屋。

店長さんは開口一番に「老けてるね」と言った。

顔もそうだがひきこもりだったこともあって若さを感じられなかったのだろう。

はっきりモノをいう人だなあと思った。

しばらくして仕事着についての話になった。

仕事着の制服は半袖のシャツだった。

 

「僕はアトピーなんですけど、こんな肘なんですが飲食大丈夫ですか?」

「どういうこと?」

「お客さん気持ち悪がったりしないですかね?」

「そんな客こっちから願下げだ」

 

これには面食らった。

自分の腕に自信がなければこんなことなかなか言えない。

個人のお店だったから言えることなのだろうけど。。

 

自分を曲げる必要はない

 

これがそのとき受け取ったメッセージだ。

コンプレックスを抱えると自信がなくなる。

堂々としていてよいのだ。

何も悪いことはない。

 

あのときから少しはコンプレックスから開放されている気がするが、さらけ出すことを怠ってしまうとまた気にし始める。

日々鍛えていかなければならない。

鍛えるといっても特別何かするわけでなく、意識しないで生活することが必要なのだと思う。

そうしているとたまにコンプレックスにぶつかったりする。

そのときに「出してるの忘れてた」と思えたらしめたものだ。

 

ただいきなりちんこは出せない。

出せるのならば出してもいいが。

 

今日はゴミを捨てにいくときにハーフパンツをはいていった。

実は膝の裏が肘よりも状態がはるかにひどい。

玄関で10分くらい外に出るか否か迷った。

ドアを少し開けて外を見た。

通勤する人、高校生、大学生でにぎわっている。

誰も見ていないってわかっているけれどやっぱり不安だった。

だって明らかに色変わってるんだもの。

勇気を振り絞ってえいやと外にでた。

 

 

もちろん何もなかった。

少し自信がついた。

 

 

今度はハーフパンツはいてランニングしたい。

 

やめられねえかな?競争

エントリみたらネガティブなワードばっかりでワロタ

誰も来とらんから問題ないか

 

私は競争が嫌いだ

理由は負けるのが嫌いだから

真剣にやっても負ければゼロという意識がどっかにあるのだと思う

ゼロならば真剣にやらないのも同然なのだ

「そんなことはない」と言いたくなる人もいるだろう

しかし、言われて「はい、そうですね」と言える類のものではない

勝ちしか納得する結果がないのだ

 

競争ならば1位しか価値はない

これは大変不毛なことだ

こういう信念を持った人はかわいそうだと思う

1位になりたくて努力する

1位は1人しかなれないのに

思うように実力を発揮できない人もいる

個人の努力が足りないということになりストレスを溜める一方だ

またはプライドをへし折り自分を否定しながら生きることになる

この1位がリソースを吸い取っていく構図はなんとかならないのか?

優秀な1位のために多くの人間がダメになっていくこの構図。。

 

弱肉強食を否定するのって甘えなのかな?

 

上を目指して下を踏み台にしていく教育を受けた人はそういう見方をしてしまう

「上にいけなかったら下にいくしかない」

そんなことを刷り込まれてしまっている

 

私は競争が嫌いというか、努力できないので競争はできるだけ避けている

自分が努力せずに関われそうなコミュニティーで生きてきた

またはコミュニティーをよく研究して競合しないキャラを演じてきた

※ひきこもりキャラはあんまりいないので使える

 

逆説的だが自分の居場所を得られれば進んで努力できる

居場所を得るための努力なんてのはそういう成り上がりが好きな奴がすればいい

人を追い詰めてやることなんてろくなもんじゃない

 

競争で勝てるやつは競争をしたがるんだ

自分の満足のためには勝ちが必要だから

 

人を巻き込むんじゃねえよ

自分と戦ってろよ

 

勝者のために勝負があるなら私は戦わない

勝ってもあんま嬉しくないんよ

負けたときの悔しさを思い出すから

 

競争は

・自分をきちんと褒められるやつ

・人をきちんと認められるやつ

だけがやればいいよ

 

平和ボケで悪かった

やめられねえかな?競争

自分を否定してしまう人へ

自分を否定してしまう人へ

 

私もそういう傾向のある人です

色々考えたことをテキトーに書いていきます

 

まず私が自信をなくした過去を振り返ってみます

 

おそらく中学生くらいから自信が揺らぎ始めました

理由は部活動

部活が嫌なのに嫌とは言えない

行ったり行かなかったりで色々悩みました

しかし、完全に自信を失うことはなかった平均より少し勉強ができたからです

塾通いをして友達と楽しく勉強ができていたからです

しかし、高校で自分より勉強のできる人がたくさんいる環境に入って自分にガッカリしました

そして、学習教材の訪問販売の誘惑に負けて、それまでしていたはずの宿題という地道な努力を放棄していしまいました

そこから逃げて逃げて大学浪人の道を歩み、某バーチー大学に入学しました

バーチー大には自信を失ったまま、ただ入りました

下宿して一人でやっていこうという気持ちくらいはあった気がしますが

 

バーチー大では全然友達ができませんでした

小中高とずっと持ち上がりの友達がいたので「友達はつくるもの」という事実を知らなかったのと浪人時代の後半はひきこもりになっていたのでコミュ障で死相がでていたからだと思います

いつも群れて行動している学生たちがとにかく気持ち悪かったです

だから一人でひたすら勉強をしていました

 

5月くらいにはなんとなく知り合いはできました

学科の子一人ととサークルの人

しかし、あんまり生きた心地がしませんでした

大学、家、PC、たまにスーパー

今考えるとありえないくらい狭い世界で生きていました

 

バイト、留学、休学、就活、旅行、飲み会、恋愛、遊び、将来・・・

 

信じられないかもしれませんが眼中にありませんでした

というかJ○kという団体のオリエンテーションに何も知らずに参加して大学生の気持ち悪さに辟易していわゆる大学生活を拒否してしまったからです

純粋に論理の中だけで生きていたように思います

科学論の反証可能性という考えに対して異常に興奮していました

 

しばらくして大学の勉強をサボりはじめました

理由は授業が重くなってきたということもありますが、PCにのめり込みはじめたから

語学を3つもとっていたし、聴講もしていました

PCは寝不足を引き起こし、朝飯を抜くようになりました

それでも大学にはなんとか行っていました

 

7月、試験期間が近づいてきました

無計画な履修のため膨大なレポートと試験

そのプレッシャーと実力を試されることに怯えた私は「某PCゲームを研究する」というを言い訳をして大学に行かないことにしました

 

一日中PCにかじりつき、腹が減ったら食べ、眠くなったら寝る生活

そんな暮らしを8月末まで続けました

さすがに飽きてしまったので実家に帰ることにしました

体重が10キロ減ってました

顔つきが別人で、足も棒のようになってしまいました

実家では太るのが私の仕事でした

20前後の若者の生活とはかけ離れていることはよくお分かりだと思います

 

10月からは心機一転してがんばろうと決意しました

しかし、ストレスからか持病のアトピーが悪化し、すぐに実家に戻りました

アトピーの療養のため後期の大半を実家で過ごしました

ちなみに実家にいる間も家から出ないのでひきこもりとなんら変わらない生活をしていました

 

12月少し大学にもどってみました

はじめてサークルの打ち上げに参加して楽しいと思える経験をしました

このあたりからどん底にあった人生が波こそあれ少しずつ上向きになりかけました

ここからまだまだ山や谷があるのですが今回はこの辺にします...

 

私は自信どころか自分をなくしました

 

客観的にみてクズというかバカというか

今も根本的な部分は変わっていません

なので人様に言わせればクズでバカな生き方としています

でもあの生きた心地がしない時代よりは生きてる実感があります

あのときがあってこそ今がある

あのときなくして今の自分はないです

 

でもときどき本当に情けなくなる

人と違う生き方をしてきたことに不安を感じる

でもこの過去を絶対に否定しない

いや、「否定しないことになっている」ということにした

 

否定していいのは変えられることだけです

変えられないことを否定してもいいことはありません

反省して失敗の原因を探ることはあります

しかし、それを踏まえた行動とセットになって「試行錯誤」にならなければいけません

否定は感傷にしかなりません

感傷は多くの場合身体に毒です

どんどん深く沈んでいきます

お酒と一緒でたまに沈むのも悪くないんですが////

 

ただこの世の中には否定することが生きがいという人がいます

こういう人はかわいそうなことに否定しないと生きていけません

こういう人に会ってしまったら死んだフリをしましょう

印籠が出されたら一応ひれ伏すんですよ、やられたーって

死んだフリに相手が満足したら後でぺロっと舌を出しましょう

舌は必ず出してください

できれば同じ目に遭ったことのある人と「災難でしたねえ」と言い合いましょう

そんなものは一刻も早く捨てる必要があります

 

人の評価は人によって全然違います

だから良い見方をする人も悪い見方をする人もいます

ではなぜ好き好んで自分を悪く見た人を自分の心に住まわせる必要があるのでしょうか?

良い見方をしてくれる人にもっといてもらえばいいじゃないですか

 

心の中を覗いてみて下さい

良い見方をしてくれた人どれくらいいますか?

この人たちを大切に増やしていってください

悪い見方をした人には出て行ってもらってください

そして今後心には住まわせないこと

住まわせないことが難しいならば良い見方をする人を増やしてください自分に対して否定的な見方をすることが少なくなるでしょう

アンパンマンのうたにもこうある

 

もし自信をなくしてくじけそうになったら

いいことだけいいことだけ思い出せ

(『アンパンマンたいそう』より)

 

自信のない人はおそらく心における悪い見方をする人の支配率が

高いのだと思います

良い見方をする人の支配率を高めましょう